24期プロフィール ー 24期の世相・時代背景
誰の人生にも青春の始まりのページがある。 高津の三年間は正にその始まりのページだったろう。
戦後25年が経ち、日本は大きく様変わりを始 めた。躍動の時代の幕明けである。
中でも、 1970年春大阪で「人類の進歩と調和」 をテーマに開業した日本万国博覧会ほど ワクワクさせられたものはなかった。
海外旅行等が夢の時代に「世界」が大阪にやってきた のだ。夜間料金が安いのをねらって、放課後出 かけていった人も多いのでは。
眩しいほどに 煌びやかな、〝新しい世界〟おおよそ理解不能?な「太陽の塔」。あの時代に高校生であ った意味は大きい。
同じく1970年に起こったよど号ハイジャック事件 は衝撃だった。同世代より少し上の若物達の 熱き思想を理解できた者がどれだけいたか わからないが、その後続く多くの悲劇を見るにとにもなった。
一方でグループサウンズに熱狂し、ビートルズの解散に涙し…戦争を知らずに育った世代と揶揄されもした。
他にも三島由起夫の割腹事件があり、植村直己が 世界最高峰エベレストに日本人として初登頂 している。
前後するが私達の入学した年1969年7月、アメリカ合衆国のアポロ11号計画が成功し、人類が史上初月面に着陸した。
日本もその年の10月に宇宙開発事業団が組織された。また次年2月には、日本初の人工衛星おおすみの打ち上げに成功している。
1971年高校三年生の時には、銀座にマクドナルド1号店が開店する。当時のハンバーガーの値段は80円だった。ちなみに大阪1号店は次の年である。
ボウリングのブームもやってきた。欧米の文化が押し寄せた時代でもあった。 |
戦後日本に残された大きな課題、沖縄の返還協定が調印されたのがこの年である。
日本の高度成長時代の真っ只中に生きた私達、正にこの三年間はそれぞれの人生の幕開けの三年間だったに違いない。
高津24期 遠田(泉)悦子
<24期在学中の主な出来事>
●1年生(1969年)
・人類初の月面着陸・日本銀行が五百円札を発行
・東名高速道路全線開通
・テレビアニメ『サザエさん』放送開始
・ウッドストック・フェスティバル開催
●2年生(1970年)
・日本万国博覧会が大阪で開幕
・よど号ハイジャック事件発生
・植村直己が世界最高峰エベレストに日本人初登頂
・ビートルズ解散
・国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功
●3年生(1971年)
・日本マクドナルド1号店・銀座で開業
・沖縄返還協定調印
・成田新空港反対闘争
・大鵬引退
そぉだった、そぉだった❤
と、なんにでも、ワクワク・ドキドキしてた青春時代を思い出しました(^_-)-☆
当時、部活を終えて裏門近くのお店の前で、チェリオ(当時の清涼飲料)を飲みながらクラブ仲間とだべっていると、後に裁判官になった日頃は冷静なT君が、いつになく興奮した面持ちで近づいてきて、「三島由紀夫が自衛隊に乗り込んで割腹自殺したらしいわ~」。「え~マジかよ~」って(当時そんな言い方があったのかどうか記憶にないが・笑)、とにかく滅茶苦茶衝撃を受けたのを、50年以上経った今でも鮮明に思いだします。直後の様子を捉えた新聞の一面写真もショッキングやったな。
もちろん到底理解できるような行動ではないけれど、思い切り過激な信条と行動が一致したこんな猛者は、今の時代では2度と出てこないでしょう。
高校3年の倫理社会の授業で
白川先生が「GHQは、社会主義者ですから」と呟かれたことがあり
今になって考えると、色々な複雑な思いがあってのコメントだったと想像されますが
当時は、意味がよくわからず
その言葉だけが頭に残った。
現在のアメリカのバイデン政権の
迷走ぶりとアメリカ社会の混乱を
みるにつけ、白川先生のつぶやきの
意味がよくわかるようになった。
また、日本史の松原先生の日本史の
授業も、菊池寛の「藤十郎の恋」を
引用し、衆道について言及されたり、
田沼意次を評価されたり、東京裁判に
疑問をなげかけたりと極めて自由自在で
面白い歴史授業であった。
大学に入学後の教養課程の授業の退屈を
思うと、高校時代の社会の授業の
充実とレベルの高さに改めて感謝する
次第です。
恥ずかしながら、高校の授業にあまり真剣に向きあった記憶がないわが身としては、うらやましいコメントです。
当時の自由闊達な高津の校風が、先生方の授業にも反映されていたのかも知れへんね。
もう鬼籍に入られているであろう先生方がお聞きになれば、きっと喜ばれることでしょう。
当時70年安保の過激な学生運動なんかには全く共感出来んかったけど、権威あるものが苦手で自由が大好きな自分の気質は、この頃に形作られたような気がする。たぶん良い時代だったんやろな。。